大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和28年(ワ)909号 判決 1957年4月20日

原告 飯田康男 外三名

被告 近畿日本鉄道株式会社

主文

被告は原告光五郎、同かなに対し各金一萬五千円、原告康男同喜恵子に対し各金六萬円及びこれに対する各昭和二十八年六月十九日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを十分し、その七を原告等の負担とし、その三を被告の負担とする。

事  実<省略>

理由

昭和二十七年二月一日飯田国蔵がパンの配達をするためオート三輪車を操縦し、運転台の傍らに飯田なつ子を同乗させ、名古屋市中村区岩塚町八百屋岩政方の配達を済まし、同区長草町七丁目地内の道路を南方に向つて疾走し、同日午前十一時四分頃被告会社八田駅西方約一町の地点にある電車線路踏切を横断する際、被告会社の電車運転士島田利一の運転する彌富駅名古屋駅行普通電車と衝突し、これがため国蔵が即死し、なつ子が受傷後死亡したことについては当事者間に争がない。

第一、よつて先ず右衝突事故が被告会社の被用者島田利一及び被告会社の過失に基因するか否かについて判断する。

成立に争のない乙第一号証及び同第六号証によれば、本件事故現場である踏切は被告会社八田駅西巾員四米五十糎の八田第一号踏切が、同踏切附近の軌道は直線であるが踏切より西は千分の二五の勾配をなし、東は平坦で約百五十米先に八田駅ホームがあり、軌道南側は約十六米を隔てて国鉄関西線が併行して敷設され、右関西線の踏切には遮断機が設置されているが、事故当時本件踏切には両側にブザー式警報機各一個が設置され、なお「踏切一旦停止安全確認」「とまり、きき、みてとほれ」の警示板が設置されていたこと、右踏切の北西の方角にあたる岩政八百屋前の石橋より長草地内の道路を南へ約二十三米七十糎訴外森真現氏宅南端において前方の被告会社鉄道線路を望むことができ、右地点より道路は東へ曲折し略々線路に併行して走るが、右道路と線路の間に民家が四軒立並び、前記森真現氏宅南端より右家並の西端まで五十一米六十糎でこの間道路より線路に対する見通しは良好であるが、この家並の前を本件踏切に向つて進む間は家屋に遮断されて線路に対する見通しは極めて悪いこと、伏屋駅より八田駅に向う電車が踏切手前約百二十五米の地点に差かかつた場合右電車より前記道路の森真現氏宅南端より家並の西端までの見通は良好であるが、更に進んで前記家並まで進行すると電車からの道路に対する見通は極めて悪いことが認められる。成立に争のない乙第二乃至第四号証、同第七号証、同第八号証、証人南出久男、同武藤芳吉の各証言を綜合すれば、本件事故当日は雨天で見通しは稍々不良であつたこと、国蔵の運転する三輪車はなつ子を運転台の左側に乗せ、国蔵もなつ子も雨合羽を着用し、相当な速度で疾走して本件踏切に差かかり、踏切手前で停止することなく一気に横断しようとしたこと、島田運転士は当日車輛の点検をなし、異状なきことを確めた上彌富駅を発車し、伏屋駅で乗客は略々定員の二百名(一輛の定員百名、二輛分)となり同駅を定時に発車し、日毛引込線跨線橋附近(踏切手前約二百五十米)を制限時速五十五粁で東進、右跨線橋を越すと警音器を吹鳴しつつ進行し、踏切手前約四十米の地点で踏切約七米手前の道路上を踏切に向つて疾走する本件三輪車を現認したので、右現認と同時に一段強く短急警笛を吹鳴すると共に、非常制動の措置をとつたが及ばず、踏切に突入した三輪車側面中央部に衝突し、踏切より八田駅方向へ七十五米先の地点で停止したことが認められ他に右認定を左右するに足る証拠はない。そして進行中の列車が常用制動により停車するのは速力のキロ数の相乗積を二〇で除したものを米であらわした距離の先であり、非常制動による場合はその〇、七乃至〇、八倍ぐらいであることは乙第四号証にもあるように一の実験則であつて、本件電車の速力が時速五十五粁であつたのであるから非常制動による列車停車までには約百五米乃至百二十米を要することは算数上明かである。

一般に専用軌道を使用する高速度交通機関の電車運転士は、前認定のごとき警報機及び警示板の設置ある踏切を通過するに際しては事故発生の危険が特に大である等の特別の事情がある場合を除いては、特別に電車の速度を減じたり電車を何時でも停止し得るような状態において事故発生を防止すべき注意義務はないと解すべきであり、本件踏切は前認定のとおり伏屋駅より八田駅に向う電車より本件踏切附近に対する見通しは良好とはいえないが、かかる事情のみによつては、電車運転士に速度を低減すべき義務があるといえず、ただ常に前方を注意して踏切通行者の速かな発見に努め、警笛を吹鳴してその注意を喚起することによつて事故の発生をできる限り防止すべき義務があるに過ぎないと解すべきである。ところで島田運転士が本件踏切手前相当の距離より警笛を吹鳴しつつ進行していたことは前認定のとおりであり、その他同運転士に右のごとき注意義務に違背したとなすべき事実を認めるに足る証拠はないから、同運転士には何等過失は存しないと謂うべきである。従つて同運転士に過失ありとの原告等の主張は理由がない。

次に原告は、本件踏切には遮断機を設置すべきであるのに、これを怠つた点に被告会社の過失が存すると主張するのでこの点を考えて見る。前記認定のごとき本件踏切附近の状況から考察して、本件踏切は警報機の設置をもつて足り、特に遮断機を設置しなければならない必要性を認めることはできない。もつとも証人加藤善太郎の証言によれば、本件踏切附近に工場等もあり朝夕の出退時には工員の通行がかなりあることが認められるが、この事実のみから直ちに遮断機設置の必要性を認めることはできない。なお近鉄線に併行して敷設されている国鉄関西線の踏切には遮断機が設置されていることは前認定のとおりであるが、本件踏切とは約十六米の間隔があるのであるから、原告飯田光五郎本人の供述するごとく、関西線の遮断機の在るため錯覚を起すことは、極く稀であると云うべきであるから、このことをもつて遮断機設置の必要性を肯定することはできない。従つて、被告会社には遮断機設置の懈怠による過失はないものと謂うべきである。

次に本件踏切に設置してあつた警報機の性能にかしがあつたか否かについて考えて見る。本件事故当時の警報機がブザー式で光が点滅する方式のものであつたこと、列車が踏切手前九百二十三米に達するとブザーが鳴り光が点滅すること、警報機は監督官庁である陸運局の性能検査があり、その条件は踏切から五十米離れた所より尖光が見え、ブザー音が聞えることであること、本件警報機は昭和二十四年七月陸運局の性能監査の際合格し、被告会社ではその後も見廻り検査をしていたものであることは、証人鈴木徳蔵の証言により認められる。なお同証人は本件警報機のブザー音は百五十米離れたところでも聞え、尖光は七十五米乃至八十米手前で見えたと供述しているが、該供述部分は措信し難く、却つて前掲乙第一号証によれば、本件事故の捜査に当つた武藤巡査部長の実況見分によれば、相当離れたところよりブザー音を聞き得るも、赤色点滅信号は稍暗く二、三十米前方においては一寸注意せざれば、これを知ることができない状態にあつたことが認められ、このことは前掲証人加藤善太郎の証言及び原告飯田光五郎本人訊問の結果からも裏付けられる。又事故当日の翌日右ブザー式警報機が現在の電鐘式警報機に取替えられたことについては被告は明に争わないからこれを自白したものと看做す。そして前掲証人鈴木徳蔵の証言により成立を認める乙第五号証の一乃至三及び証人鈴木徳蔵の証言によれば、被告会社が右のごとき警報機の取替をしたのは、八田駅の改修に伴い警報機の配線をも変更することになり、昭和二十七年一月九日より警報機の変更工事に着手したものであり、工事完成が偶々事故の翌日である二月二日になつたものであること、当時ブザー式警報機及びその部品は製作されていなかつたため電鐘式にしたものであることが認められる。然しながら以上認定の事実から事故当時のブザー式警報機が正規の規格に合つたものと直に解することはできず、寧ろ監督官庁の性能検査の時より長年月を経、性能も自然に低減し、且つ警報機の取替えが予定されていたところより、右警報機の保全が充分でなく、殊に赤色灯の点滅装置においては塵埃等のためその性能が相当低減していたものと推認するに難くない。かかる警報機の場合ブザーはかなり遠方より聞えるといつても静止している者或は徒歩の通行人に対する場合であつて、それも風向きにより著しい差があり、エンヂンの爆発音を伴う自動車或はオート三輪車等においてはかなり聞きとり難いものであることは推察に難くないし、(このことは証人加藤善太郎の証言によつても窺うことができる)、赤色灯の点滅が前認定のごとくなのであるから、危険防止のため設置されている警報機として充分な性能を備えていたものと認めることはできない。被告会社の経営する高速度鉄道が公益性を帯びるものであることは謂うまでもないが、その反面多額の収益を独占していることも周知の事実であるから、かかる高収益を納め得る企業会社に対し、危険防止のための万全の設備を要求することは何等不当なことではない。もし警報機の性能が充分維持されていたならば、国蔵も電車の接近を容易に察知し、危険防止の措置を講じ得たであろうと思える。従つて警報機の性能保全が充分でない点に被告会社の過失を認めなければならない。

第二、次に被害者国蔵の過失の有無を判断する。国蔵が本件踏切附近の状況、特に警報機の状況についてかなり熟知していたものであることは、原告飯田光五郎本人訊問の結果から窺知することができる。然るに、成立に争のない乙第三、第四号証、及び証人南出久男の証言によれば、国蔵は本件踏切において一時停車の措置を講ぜず、一気に踏切を横断せんとしたものであることが認められる。凡そ鉄道軌道の踏切を通過しようとするときは、信号の表示、当該警察官若しくは警察吏又は信号人の指示その他の事由により安全であることを確認したときの外は安全かどうかを確認するため一時停車すべき注意義務(道路交通取締法第十五条参照)があるに拘らず、右認定のごとく国蔵が一時停車を怠り踏切を横断せんとしたことは、右注意義務に違反したもので過失ありと云わなければならない。

第三、このように、本件事故は被告会社の本件踏切に設置された警報機の性能保全に過失があつたことと、被害者国蔵の過失とが基因となつているのであるが、本件の場合国蔵の過失が決定的要因となつていることは前段認定の事実から充分知ることができるのであり、両者の過失を比較した場合国蔵の過失は被告会社の過失より極めて強度であると断言できる。従つて原告等の国蔵の死亡による慰藉料請求についても被害者国蔵の過失は慰藉額を定めるについて斟酌しなければならない。本件事故をもたらした原因力の大小、注意義務違反の有無等諸般の事情を勘案するときは、各相手方の被つた損害に対し、被告会社は十分の三、被害者側は十分の七の割をもつてこれを賠償すべき責あるものと認定するを相当とする。ところで本件においては被害者側である原告等のみ慰藉料の請求をしているのであるから、被告会社は原告等の慰藉料額の十分の三を賠償すべき責任があることは明白である。そこで原告等の請求し得べき慰藉料額を算定することにする。原告光五郎及び同かなが国蔵の親であり原告康男は国蔵の長男にして、原告喜恵子が国蔵の妻であることについては当事者間に争がない。そして原告康男が昭和二十四年九月十二日生れの未成年者であることは記録上明かであり右康男及び喜恵子がいづれも国蔵の扶養を受けていたものであることは原告飯田喜恵子本人訊問の結果により認められる。右の事実から原告等が本件事故で国蔵を失つたことにより精神上の苦痛を受けたことは多言を要しないところである。従つて諸般の事情を斟酌すると、原告等の受けた精神上の苦痛に対する慰藉料の額は原告康男、同喜恵子については金二十萬円、原告光五郎、同かなについては各金五萬円を相当とする。

そして被告は前示のとおり損害額の十分の三に相当する金額を賠償すれば足りるのであるから、原告康男、同喜恵子に対しては各金六萬円、原告光五郎、同かなに対しては各金一萬五千円の賠償義務を負うべきである。

されば被告は原告光五郎、同かなに対し各金一萬五千円、原告康男、同喜恵子に対し各金六萬円及び各これに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和二十八年六月十九日以降右完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務あり、原告等の本訴請求は右の限度において正当として認容し、その余は失当として棄却する。

よつて、訴訟費用について、民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 小沢博)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例